2006年02月23日/ 沖縄の詩誌

1999 創刊号/作品評(3)―内間武

 以下の5作品は内間武。状況設定が上手く、読者に物語を想像させる。「サイレントヴォイス」では、〈腕は確かで、無愛想、不器用/店はまあまあ客入りではあるが・・・〉と孤独なギタリストを描く。〈無愛想〉〈不器用〉という言葉はそれぞれ3回ずつ現れてややくどく、説明的かと感じたが、作り込んだ雰囲気自体は嫌いではない。ただ、結びまで〈聞いちゃいない、誰も・・・〉と、ひとつのことを繰り返した形になっているのが残念だった。客が思い思いの語らいに身をまかせられるのは、誰も耳に留めないものだとしても、ギタリストの音楽が背景にあるからかもしれない。

引きこもり」は、引きこもる〈僕〉のモノローグ。社会問題化した現象だが、内に引きこもりたくなること自体は何も特別なことではなく、作者もある程度の実感を持って書いているように思える。〈ここには本当の痛みもなく/本当の快楽も無く/ただ凍り付いた時間が横たわっているだけ〉という表現は、人との関わりを断って一人で在るときの心象風景を的確に描いているように思え、共感できた。ただ展開が急なせいもあってか、全体としてはややデフォルメされた印象となり、切実さには欠けるとも感じた。〈なく〉〈無く〉と表記が揺れているのが気になった。

 見事な夕日を前に釣りをする老人が、釣り上げた魚に自分を見る「釣り人」。哀愁漂う映画のワンシーンのようだが、不気味な結びが読者をぞっとさせる。〈かつての栄華の残り火のような残照の中/ついに釣り上げた魚はやせ衰え/苦しそうにえらを動かしている〉情景からは、その後に〈すばらしい世界/美しい世界/だけど息苦しい〉と書かなくても、そういうことが読み取れると思った。登場人物が老人なのはなぜだろう。

不感症」。じわじわと眠りの世界に入っていくときの夢うつつの感覚を、〈ふと気が付くと、ラジオの音量が小さくなっています〉と相対的に表現しているところが面白い。世界が変わって感じられるとき、その原因がいつも外部にあるとは限らないということに改めて気付かされる。〈楽しい〉DJの声がどんどん聞こえなくなっていくなか、〈その時、一匹の蚊が私の耳元をかすめました/ひやりとした羽音がどうしようもなく不愉快だった私は/枕を振り回して対抗します〉と、不快な音には敏感なままなところも興味深い。

 〈私の心〉が海に沈んでいくさまを捉える「夢想の海」は、作者の今回の5作中では比較的抽象度が高い。〈何も見えない、何も聞こえない深海で/剥き出しの私の心が漂っている無様な姿を晒しながらも/それは深遠を目指すことをやめない〉といった描写からは、正確に正確に言葉を選ぼうとするときの熱のようなものが伝わってくる。〈心は海水に溶け、海水は心を取り込む〉と、ここでも視点が双方向であるところにハッとさせられた。

 内間武は1982年生まれ。沖国大文芸部5代目部長を務めた。


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Posted by あゆ at 07:00│Comments(2)
この記事へのコメント
僕も大学院で沖縄を勉強するにつれて、沖縄文学についても勉強しなきゃなりませんね。
かたっぱしから沖縄文学の本を読むかな・・
Posted by 中屋ヒロキ at 2006年02月23日 10:31
はりきってますね(^o^) でもあまり焦らないで、興味のあるところから手をつけたらいいのではないでしょうか。『沖縄文学選』みたいなアンソロジーが手元にあると便利かも。ほかに、『沖縄文学全集』シリーズもあります。
Posted by あゆ at 2006年02月23日 10:53
 
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