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<title>沖縄文学館</title>
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<description>沖縄と文学、文学から見る沖縄</description>
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<pubDate>Sun, 29 May 2005 01:12:20 +0900</pubDate>
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<title>沖縄の文学に「道化」は？</title>
<description>　ご無沙汰していました。東京はどんどん秋めいています。お元気でお過ごしでしょうか。　『道化の文学―ルネサンスの栄光 (中公新書)』という、面白い本を読みました。14～16世紀、ルネサンス時代の文学に出てくる道化についての話です。エラスムス、ラブレー、シェイクスピア、セルバンテスに興味のある方にはとくにおすすめです。　読み終えてから、ふと、沖縄の文学に「道化」はいるのか、という疑問が浮かびました。権力者の側近に道化がはべるという文化がアジアには無かった（んですよね？　それともあったのでしょうか）ということで、シェイクスピアに出てくるようなそのものすばりの道化が出てこないのはわかりますが、ドン・キホーテとか、時代下ってメフィストフェレスのような、道化的な性格をもつ人物は出てくるのか、という疑問が。私が読んだ範囲では、狭いからか、まだ出会ったことがありません。　沖縄の「道化」というと、エイサーのチョンダラーしか思い浮かびませんでした。滑稽な姿、場を取り仕切る機知（青年会でも先輩格が務めるようですね）、自在な移動など、まさしく「道化」だと思います。あっ、あと川満しぇんしぇいもそうかも（誉め言葉なのです！！）。　勝手なことばかり言いますが、魅力的な道化・トリックスターがもっと出てきたら、沖縄文学と呼ばれるものももっと面白くなるのになと思ったりします。「道化」の得意技のひとつに戦争批判があるのだし、「お道化者」はきっと、沖縄のかかえている主題（そういうものがあるとすれば）にも合うのでは、とも。　沖縄の文学のなかの「道化」、ご存知のかたがいらっしゃいましたら、教えていただけると幸いです。あと日本の文学では誰がいるだろう。</description>
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<category>おぼえがき</category>
<pubDate>Thu, 25 Sep 2008 07:00:00 +0900</pubDate>

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<title>残暑お見舞い申し上げます</title>
<description>　またずいぶんご無沙汰してしまいました。訪れてくださった方々には、本当に申し訳ありません（←間違った用法とはいえ、なんだか染みついてしまって）。今は、沖縄関連の文学作品などを読む余裕がなかなか見つけられないでいます・・・。　そんな中、先月の初めに、朗読劇「人類館」を見て（聴いて？）きました（強烈な誕生日プレゼントでした）。千秋楽ということもあり、会場は通路に座布団席が出るほどの超満員。泣いたり笑ったり、観客の反応も濃かったです。私自身も朗読の迫力には圧倒されたのですが、テクストそのものについては、知識がなさすぎてまだ何のコメントもできないなと改めて思いました。　そして実は今、帰省中です。新しい県立博物館にもようやく行くことができましたが、まだ特別展の恐竜ミュージアムしか見ていません。私が足元を見つめるには、まだまだ時間がかかりそうです。今日は、川満しぇんしぇいのお話と下地勇さんの歌に感銘を受けました。そうそう、国立劇場も初めてでした。すごい建物だった。　沖縄はやっぱりまだ暑いのですが、夕方は風が気持ち良くて眠り込みそうです。また気まぐれにお便りするかもしれません。それではまた！</description>
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<category>このブログより</category>
<pubDate>Sun, 07 Sep 2008 07:00:00 +0900</pubDate>

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<title>１９９９ 第６号</title>
<description>　「１９９９」第６号*が、５月末付けで出ました。表紙が灰色になっていて、少し趣きが変わっています。ちょっと不気味な感じの人形が、こちらを見ています。　53ページと薄めで、読みやすい量です。同人による詩が８編（２編×４人）で、そのうち伊波泰志さんの特集が組まれています。「寝転がる人々」が面白い。散歩をしていたら広い歩道の路上男女が数十人思い思いの格好で寝転がっていて、先に進みづらくて一番近くにいた若い女に「これはどうしたんですか」と尋ねると「流行ってんの」と言い、隣で寝転（以下略、「寝転がる人々」より）　　10字の行が続いたかと思えば、真ん中のほうでアーチが現れます。これまでこの詩誌に載っていた伊波さんの詩のなかでは、新しい試みで（確か･･･）、形式、内容ともに新鮮でした。「ロンサム・キング」もいいなと思ったのですが、タイトルが安易な感じなのが残念。内容の重さとバランスをとろうとした軽さなのかな、という気はしましたが、やはりなぜ英語なのかが伝わってきませんでした（過去の「リザード」「サヴァイブ」「ヤングメン」なども）。　松永朋哉さんの詩を読んで思うのは、ありふれた言葉がありふれたもののままでいて残念だということ。「運命論者」「脱出ゲーム」の２作品から、作者の感じている閉塞感は伝わってくるのですが、「未来」「希望」「運命」「挫折」「苦悩」「悲しみ」「試練」「理不尽」「罪」「楽園」「神」（すべて「運命論者」より）などの言葉が、あまりにも直接的なせいか、よそよそしく感じられました。ただ、「希望はとうの昔に消えたから／私は運命を信じた」というところは作者の世界だと思ったので、そこをもっと見たい気がします。　宮城さんの２作品「雪」「川」は、題も示すとおり、短くたたずんだ詩。雪は「見えない」し、重さもないけど「とけな」くて、おまけに「鼓膜を刺激」し、「こころとからだを押しつぶ」し、「たましいを押しつぶす」。青い空と緑の芝生の風景に「無機質な亀裂」、つまり「金網」が入ることが、その雪を降らせているのかもしれません。　内間武さんは、タイトルのつけ方が秀逸。タイトルの言葉自体は、「いじめ」「借金」と普通ですが、対応する詩の内容と絶妙な距離を保っているのです。以下は、「いじめ」の全部引用です。巨大な太陽に照らされ真っ赤に焼けたアスファルトから滲んでいる陽炎で歪む世界地球の真ん中にある意思はもがき何とか這い出る場所を探している徐々に世界が震える小さな揺れに気づく者はいない誰かがそれに気づいた時は手遅れでアスファルトを突き破り噴火したマグマがこの世界を飲み込んでいった　それから、新しい試みとして、「つぎの琉球詩壇」と題された投稿欄が設けられています。「１９９９Web」の投稿掲示板に投稿された詩のなかから掲載作が選ばれ、宮城さんが評しています。氏の「誉める技術」には、学ぶところ多し。　長くなってしまいました。あいかわらず文句も多くてごめんなさい。これからも楽しみにしています。---------------*　寄贈していただきました。この場を借りて感謝申し上げます。</description>
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<category>沖縄の詩誌</category>
<pubDate>Tue, 08 Jul 2008 07:00:00 +0900</pubDate>

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<title>「人類館」の朗読劇が上演されます</title>
<description>　知念正真の戯曲「人類館」が、この夏に朗読劇として、沖縄と東京で上演されるそうです。詳しくは劇団青年座のサイトに載っていますが、このブログにも公演情報を一部だけ転載させていただきました。津嘉山正種ひとり語り　人類館　（朗読劇）　作＝知念正真　演出＝菊地一浩　　沖縄公演　上演日程：7月24日（木）・25日（金）　沖縄市民小劇場あしびなー　東京公演　上演日程：7月31日（木）～8月3日（日）　青年座劇場劇団青年座による上演案内サイトはこちら＞http://seinenza.com/performance/studio/106.html</description>
<link>http://ayu.ti-da.net/e2203671.html</link>
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<category>ニュース</category>
<pubDate>Thu, 12 Jun 2008 07:00:00 +0900</pubDate>

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<title>『G米軍野戦病院跡辺り』の書評を書きました　</title>
<description>　本日８日付けの琉球新報に、『G米軍野戦病院跡辺り』の書評を寄稿しました。新報の書評サイトはこちらへ。　拙いですが、新聞デビューということで、記念にここにも載せます。G米軍野戦病院跡辺り大城　貞俊／人文書館／2008年４月　今年の四月に刊行された本書には、表題作のほか、「ヌジファ」「サナカ・カサナ・サカナ」「Ｋ共同墓地死亡者名簿」の計四つの短編が収められている。いずれも「Ｇ村」の人々による、戦没者の弔いと記憶とをめぐる物語である。　とりわけ印象深い「サナカ・カサナ・サカナ」の世界では、記憶は魚であり言葉だ。娘の米兵との結婚に反対し、その理由を言葉にしようとする徹雄。それは巨大な魚を釣り上げると同時に果たされるのだが、徹雄の言葉に抗うかのように、魚は釣り糸を切って海へと帰る。一方、ずっとねじれていた言葉はついに本来の姿を取り戻し、徹雄の孫に伝わった。「サカナだ！」　生活のためにわずかな土地を耕す人々。遺体の埋葬のため、あるいは遺骨を探すために土を掘り続ける人々。亡き家族の話をしながら釣りをする兄弟。掘り返すのは土だけではなく、手繰り寄せるのは釣り糸だけではない。彼ら彼女らは、いつしか記憶の土を掘り、記憶の海から糸を手繰るのだ。戦争に「食われた」者の弔いと、彼らをめぐる記憶の想起とが、生の営みの中心にどうしようもなく在ってしまう。そのことの優しさと哀しさ。　「ヌジファって言うのはね、その土地に縛られているマブイ（魂）を解き放つことだって」　話すことが放すことなら、物語を話すことは一種のヌジファとなる。語り手たちは、想いを解き放とうとしているかのようだ。死者の、何より残された者の無念の想いを。そのような語り手に添う作者は、ユタの如く仲介者であろうとしているようにも見える。その身振りは、書くことによるヌジファの様相をも帯びてくる。ただしそれは、過去の清算とはならない。書かれた／掻かれた／欠かれたものは、文字どおり傷跡なのだから。そこには、未だ見出されない遺骨、縛られたままのマブイ、今なお戦地に赴く米軍、そして死亡者名簿に残る空欄もまた、しっかりと刻み込まれている。　決して大きくはない声、しかしどこか決然とした声で、大城の言葉は語りかけてくる。私は、私の時間に、私の場所で、その声に静かに耳を傾けよう。　初めて新聞に寄稿して、本当にいろいろなことが勉強になりました。あれもこれも反省。　ちなみに、５月31日付けのタイムスにも、この本の書評が載っています（タイムスのサイトには書評は掲載されないようです）。</description>
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<category>大城貞俊</category>
<pubDate>Sun, 08 Jun 2008 13:51:23 +0900</pubDate>

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<title>１９９９ 第５号 ＆ 第４回おきなわ文学賞の募集要項</title>
<description>私の口が語るのはどこかで聞いた　どこかのおはなし（大城望美 「世代のおわりに」から）　何事もなかったかのように素面に戻って、「１９９９ Vol.５」のなかで印象深かった詩の紹介と感想をほんの少し。　大城望美さん「世代のおわりに」は、おきなわ文学賞特集作品のひとつ。大城さんは、「受験抄」（この詩も同号に載っています）で佳作を受賞していて、「世代のおわりに」は新作です。　言葉の主は、どうやら沖縄から出て別の土地に来たらしい。読んでいると、武蔵野の名が。私が東京に来て最初に住んだのも武蔵野でした。なんだか昔の自分を見つけたみたいでした。私は、彼女のような、命ある言葉を持ってはいませんでしたが。　そして、私も今日１９９９のサイトで知ったのですが、第４回おきなわ文学賞の作品募集が始まりました。募集要項はこちら。http://okicul-pr.jp/mov/2008/05/post_27.html</description>
<link>http://ayu.ti-da.net/e2175137.html</link>
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<category>沖縄の詩誌</category>
<pubDate>Sat, 24 May 2008 23:11:03 +0900</pubDate>

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<title>G米軍野戦病院跡辺り</title>
<description>　先月、東京の人文書館から、大城貞俊さんの新著『G米軍野戦病院跡辺り』が刊行されました。４つの中篇の収められた本で、いま読んでいるところです。　人文書館による、この本の紹介ページはこちら。http://www.zinbun-shokan.co.jp/books/ISBN978-4-903174-17-4.html　東京は、昨日から雨が降って寒くなりました。服の調節が難しい季節ですね。かぜひかないようにしなきゃ。</description>
<link>http://ayu.ti-da.net/e2148753.html</link>
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<category>取り上げたい作品</category>
<pubDate>Sun, 11 May 2008 11:35:33 +0900</pubDate>

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<title>夢</title>
<description>　いたずら好きなもので、それといわず虚構の世界をメインにしてみたのですが、あまりに唐突すぎたようです。間隔が空いてしまったことも合わせて、申し訳ないことです（これからも月刊ないしは季刊の状態でいくと思いますので、ご了承ください）。　そして、模様替えも済んだところで、以下は前回からの続きです。お付き合いくだされば幸いです。ちなみに、このシリーズは「青の砂漠の男」というカテゴリーにまとめることにします。--------------　ようやく終わった。この館も、少しはすっきりした。働きすぎて体中が痛い。新しいシーツに仰向けになって、下の階からもってきた例の日記を何となくひらく。驚いたことに、いつのまにか、何か新しいことが書かれている。　今年に入って読んだ、沖縄文学系の作品。崎山多美：　クジャ奇想曲変奏 （すばる　３月号）大城立裕：　首里城下町線 （新潮 　２月号）　崎山作品には、なんと「連作完結」とある。去年も精力的にすばるに短編を発表していると思ったら、そしてどの話も雰囲気がつながっているように感じていたら、連作だったのか。本になるとしたら楽しみ。それから、いまコピーを見て思い出した。この作品は図書館でコピーしてきただけで、まだ読んでいないんだった。大城作品を先に読んでいて、図書館を出る時間が来たんだった。その大城作品は、舞台が私の地元で、何だかくすぐったかった覚えがある。　それにしても、印象になってしまうけど、大城立裕の言葉のつくる空間は、照明が隈なく照らされている。言葉が、その空間と読者をへだてる（ことによってつなげる）ガラス窓だとしたら、それは透明で、言葉の空間で起きていることがよく見えるようになっている。　それに対して、私がこれまで読んだ崎山作品は、言葉のつくる空間に闇が多い。そして向こう側が闇だと、ガラスは鏡にもなる。言葉の窓はとたんに存在感をもって、こちらの姿をちらちらと映しかえして見せる。窓のむこうの、容易に姿をあらわさない世界に不安を感じながら、なぜ自分はいまこの窓に向かっているんだろう、と読者に自問自答させるような言葉。　もちろん、ストーリーの内容が明るいとか暗いとかいうことではない。どちらも小説だから、言葉の素材としてはそんなに違わないはず（私のなかではガラス窓など透明なもののイメージ。ちなみに詩は鏡。べつに決めつけたくはないけど）なのに、その見え方が違うということ。照明というのは作者の操作のイメージ。とはいえ、崎山多美が操作を放棄しているということではない。むしろ、照明を落とすのが彼女の操作の大きな部分じゃないか、という気がする。具体例がすぐには挙げられないし、見当違いかもしれないけど。要するに、私にとっては崎山の小説を読んでいる時のほうがドキドキする。　読みながら、いつのまにか眠りに落ちる。こう書くとき、私は眠りながら書いている。あとから思い出しているのではない、眠る私と、書く私がいるだけだ。　青の砂漠を夢に見る。私の生まれたところだ。夜になると、月も砂も、みな青く光って見えるので、青の砂漠と呼ばれている。オアシスはそんなに多くない。そのなかのひとつが、私の故郷になる。　青の砂漠にすわって、私はまたアルデバランを見ていた。遠い星は焦点からうまく逃れる。あきらめて少し横を見る、すると、たちまち機嫌を直したアルデバランが現れる。子どもの頃から知っていることなのに、何だか妙にうずうずしながら、しかたなく焦点をそらし続けた。ああ、言語のようだ。</description>
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<category>青の砂漠の男</category>
<pubDate>Sun, 04 May 2008 07:00:00 +0900</pubDate>

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<title>カフェにて</title>
<description>『死んでおわびだって？　変な大人の真似をするんじゃない！　卒業式で、「大好きな学校」と唱和すべきところを「大嫌いな学校」と言ってしまった小学生が自殺した。思わず出たか、わざとだったか、どちらにしてもきみは死ぬべきではなかったのに。先生は好きだ、友人は好きだ、本を読むのもむろん好きだ、だがガッコウが好きだったことなど一度もない。わたしは器用だったのかもしれない。　　きみは、「いい子」だったそうだね。そして、「大嫌いな」と叫んだ瞬間、きみのなかに潜んでいたもう一人のきみが顔を出した。まさかきみは、彼に驚いたのか？　誰のものでもない彼、きみが「ぼく」と意識することの決してないきみに？　きみは、彼の居場所がないと感じたのだろうか。周りの人が彼を罰したように感じて、彼を守るためにここから逃げたのだろうか。きみは、彼が気に入らなかったのだろうか。大人になれば笑い飛ばせたんじゃないか。きみは、本当に、生きるべきだった。』　書くのをやめ、ノートを閉じて、コーヒーをもう一杯注文する。思えば、わたしが生きてこれたのも奇跡としか言いようのないことかもしれない。わたしが彼の眼を見ることができるのは、わたしがわたしになる前に、彼の眼を見てくれた人がいたからなのか。辛抱強く。彼には居場所があったのだ。　コーヒーが運ばれてきた。カフェが近くにあって良かった。本当に、奇跡のようだ。新聞は古いけれど、大したことじゃない。コーヒーに口をつけながら、ノートをもう一度ひらく。自分の言葉を目にするのは、まるで鏡を見ることだ。それはいつもどこかしら歪んでいながら、どうしようもなくわたしでしかない。妙なものだ。ふと、昨夜の引き出しのなかのノートを思い出した。あの日記の書き手はどこにいるんだろう。　店の隅では、数人の男女がビリヤードに興じている。まるで世紀末ウィーンだ。フロアには議論する人々、取り引きする人々、わたしのように一人でいる者。昨夜のうら寂しい街からは想像もつかないほど、雑然としている。わたしにはとても好ましい。　さて今夜はどこで休もうか。マスターに安い宿はないかとたずねると、地図を描いてくれるという。宿じゃなくて空家だけどね、と渡してくれた簡素な地図の目的地を見て、わたしは微笑みを禁じえなかった――「沖縄文学館」。------　今日は日記は読まれませんでした。きっと何も書かれてなかったんでしょう。　　風はまだ少し冷たいですが、ここ数日で、東京は桜が満開になりました。新年度も元気に過ごしたいものですね。</description>
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<category>青の砂漠の男</category>
<pubDate>Wed, 02 Apr 2008 22:10:50 +0900</pubDate>

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<title>雨の日、夜、文学館で</title>
<description>　雨の日、夜、路地裏に迷い込んでしまった。傘はない。古い小さな建物ばかりが並んでいる。ほかには何も目に入らない。帽子を目深にかぶり直して足早に歩く。そして胸のうちで言う、「雨の日、夜、路地裏に迷い込んでしまった・・・・・・」。その刹那、迷い込んだ者はもはやいなくなる。そこには言葉をもつ者がいるだけだ。　ようやく雨宿りできそうな廃屋を見つけてすべりこんだ。埃の匂いがする。表には看板が立て掛けてあって、「沖縄文学館」と書かれている。文学館が潰れたのか。　今にも壊れそうな机と椅子に腰掛ける。引出しを開けてみると、驚いたことに新しいノートが入っている。日記のようだ。今日の日付けから始まっている。首筋に冷たい雨が落ちた。とりあえず、その短い日記を読んでみた。　沖縄文学館を更新したい、と思いつつなかなか出来ないでいる。内容もこれまでの書き方も、何だかしっくり来なくなっていた。誰よりもまず自分に宛てたい、でも公開するという形も続けていきたい、という葛藤。　そんなわけで、日記を思いついた。しかもそのまま開いて見せるんじゃなくて、どこかにほったらかしておいて、誰かに読んでもらうことにしよう。雨の日、夜、誰かが迷い込んでくるかもしれない。別にいつでもいいけどね。　というわけで、読んでくれるあなたへ。ありがとう。よかったら、またよろしく。　わたしのことか？　わたしはどこにいるというのだろう？　どこにいたっていいのだが、たまに不思議な気分になる。わたしは誰かに書かれた者なのか。でも、それもどうだっていい。今ここで震えているからだがある、そしてこの寒さを何とかしたい、それで充分だ。この寒さはもう、作者にはわかりはしない。　とにかく、文学館は潰れてはいないってわけか。日記を引き出しに戻して、二階に上がってみた。汚れてはいるが、ベッドと毛布がある。助かった。今夜はもう歩けない。さあ、わたしは寝るから、あとは好きなように書いてくれ。*　また長いあいだ更新をお休みしてしまいましたが、新趣向で再開したいと思います。今後もどんなペースでいけるのか、まったく予想がつきませんが、お付き合いいただければ幸いです。（写真は源平桃。３月21日、新宿御苑にて。）</description>
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<category>青の砂漠の男</category>
<pubDate>Wed, 26 Mar 2008 22:48:12 +0900</pubDate>

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<title>第３回おきなわ文学賞入選発表＆書評コンテスト</title>
<description>　ご無沙汰しています。もう冬ですね。東京も空気が冷たくなってきました。▽　県文化振興会のページhttp://www.okicul-pr.jp/3_news_3rd_okinawa_bungaku_syo_nyusen.html　入選された皆さま、おめでとうございます！　そして、琉球新報のサイトでこんな情報を見つけました。▽　沖縄関連本書評コンテストhttp://www.shohyou.net/　課題図書なんてあるんですね。</description>
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<category>ニュース</category>
<pubDate>Tue, 20 Nov 2007 22:23:47 +0900</pubDate>

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<title>伊豆味の豊年祭</title>
<description>　これまで、８月の後半から９月前半にかけて帰省することが多かったのですが、今年はいろいろと用事が重なり、９月後半に帰りました。この時期に沖縄にいるのは、東京に出てから初めてのことです。　そんなわけで、今までにない体験もできました。先月18日の火曜日に見に行った、本部町伊豆味の豊年祭もそのひとつです。４年に一度のお祭りで、小中学校（一緒なのです）の隅に舞台と客席がしつらえられ、地元から外から大勢集まっていました。　道ジュネーには残念ながら間に合いませんでしたが、ちょうど婦人会の踊りや、男性の棒術が始まるころに着きました。階段にブルーシートとゴザの敷かれた、温かみのある客席で、おやつをつまみながら楽しみました。一番感動したのは、父親（棒）と息子（釵：さい）による親子の手合わせ。「～さんは、～さんの娘さんです」「～さんは、～県の出身ですが、いまではすっかり伊豆味んちゅです」といった解説も微笑ましかったです。　18時からは舞台です。出し物が行われた広場にビールケースが並べられ、その上に長い板が手早く敷かれて、あっという間に新たな客席が現れました。　最初は踊り。お馴染みの古典に加え、伊豆味にしか伝わっていないといわれる「長伊平屋節（ながいひゃーぶし）」「大願口説（だいぐゎんくどぅち）」も見られました。前者はゆったりとした女踊り。17分かかるので、みんなその間にご飯を食べに行く、という冗談を聞いたのですが、あまり長く感じませんでした。後者はスピーディーな二才踊りで、飛び跳ねつつ足元を扇でひらひらさせる所作が独特です。とても短く、あらあら面白いと思っている間に終わりました。　次に、組踊り「代山敵討」。実は初めての組踊り体験でした（そして金曜、首里城の中秋の宴にて２度目の体験ができました）。筋もわからず、言葉もほとんどわかりませんでしたが、組踊り特有の台詞回しが面白かったです。　最後の出し物は、操り獅子です。これについては、ryuQのページなどにも説明があります。以前に海洋博で披露されたときに見た私の父が、あのときより時間が短くなっていた、と言っていました。　ここまで終わると、もう23時を回っていました。小さい息子も一緒だったので（飽きもせず、ずっと最前列に陣取っていました。子どもの集中力には恐れ入ります）、特別な夜ももう終わり。最後のカチャーシーは失礼して、会場を後にしました。　祭りのあとに、地元の方と少しお話する機会がありました。そのときに、祭りに関する問題の一端についても聞くことができたのは、本当に貴重な体験でした。不満や疑問も抱えながら、それでもみんなで祭りを作っていく。そして、出し物のたびに一人一人の名前が挙げられることからもわかるように、誰もがかけがえのない個人として認められている。生きた共同体だなと思いました。　豊かさを少しわけてもらったような気がしたお祭りでした。</description>
<link>http://ayu.ti-da.net/e1772203.html</link>
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<category>イベント</category>
<pubDate>Sat, 06 Oct 2007 07:00:00 +0900</pubDate>

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<title>沖縄関連の本を気軽に</title>
<description>　遅すぎる夏休みをなかば無理矢理とり、先週帰ってきました。多少の作業を持ち込んではいますが、久々に休んでいます。　先週は首里城公園とその近くを散歩して、久しぶりに首里公民館まで行きました。ここの２階は図書館です。沖縄の図書館ならどこでもそうかもしれませんが、「郷土」コーナーも充実していて、しかも手軽に閲覧できます。　ちなみに公民館のすぐそばにある小さな本屋さん、三星書房も、沖縄関連の本や、いわゆる県産本の品揃えが豊富です。休業中だったのが残念。</description>
<link>http://ayu.ti-da.net/e1757985.html</link>
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<category>そのほか</category>
<pubDate>Tue, 25 Sep 2007 12:51:00 +0900</pubDate>

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<title>１９９９Web開設＆第３回おきなわ文学賞</title>
<description>　暑いですが、お元気でしょうか。載せたいニュースがいくつか出てきているので、そろそろ再開したいと思います。　今月６日、詩誌『１９９９』のサイトが開設しました。以前ご紹介した投稿掲示板ともつながっています（この機会にと、思い切って投稿してしまいました）。⇒　http://plaza.rakuten.co.jp/1999web/　それから、第３回おきなわ文学賞の募集要項です。⇒　http://www.okicul-pr.jp/3_news_3nd_okinawa_bungaku_syo_070627.html（例年どおり６月に出ていたのに、今年は見過ごしていました！）　暑い日々はまだまだ続きそうですね。多摩川の水量もかなり減っています。夏野菜をこれでもかと食べ、とりあえず元気を保っています。みなさまもどうぞお気をつけて！</description>
<link>http://ayu.ti-da.net/e1691094.html</link>
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<category>ニュース</category>
<pubDate>Sat, 11 Aug 2007 10:30:16 +0900</pubDate>

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<title>しばらくお休みします</title>
<description>　ひと月以上も宙吊りにしておいて何ですが、更新をしばらくお休みさせていただきます。お知らせが遅れてしまい、訪れてくださっていた方には申し訳ありません。　東京は、６月を過ぎてようやく梅雨らしい天気です。向暑の折り、どうぞご自愛ください。</description>
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<category>このブログより</category>
<pubDate>Tue, 03 Jul 2007 07:00:00 +0900</pubDate>

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<title>語り手の街</title>
<description>のようだと思いました。崎山多美「ピグル風ヌ吹きば」です。テキストが手元になくて、詳しいことは書けませんが、あらすじと感想を少し。　短い作品で、筋も簡単ですが、とても緻密な設定。社会的に「引きこもり」状態の語り手（女性）が、ある昼の読書中、「～サイガッ」とまくしたてる不思議な声を聞きます（前回の記事では八重山の言葉かもと書きましたが、宮古のようですね。失礼しました）。なぜか耳から離れないその声に導かれるように、街の教会に向かう「私」。　そこで、ウチナーンチュとアメリカ人（黒人）の血を受け継ぐ「ひろし」（という名前だったと思います）と出会います。その街で育ったひろしは、日本語とウチナーグチを話し、90歳になる（だったと思います）祖母と住んでいます。しばらく街を離れていたひろしが戻ってきたのは、話すことができなくなってしまった祖母の声を取り戻すためでした。　ひろしによると、彼自身は祖母の声が聞けるという。ただし、その声を聞いているときは、自分も彼女になっているというのです。祖母の声を再生することはできるけれど、そのために、「ひろし」として話を聞くことができない。そのために、誰かほかの人に聞いてもらう必要がある、と彼は説明します。　もちろん怪しむ「私」。何この状況、と思わず笑う「私」でしたが、おばあさんに腕をつかまれたとたん、なんと自分の部屋で聞いた不思議な声と同じ調子で叫びます。それを聞いてひろしは安心し、もう自分の仲介はいらない、あなたは立派におばあと交信できるから、と言って奥に下がります。聞き手としておばあさんの世界に引きずり込まれた形の「私」は、例の言葉で、「私が聞いていますから、どうぞたくさんお話ください」とおばあさんに伝えます。　声を失った者の語りを聞かなければならない状況に否応なく導かれる、「私」の戸惑い。この話はひろしのメモで終わるのですが、それがまた暗示的です。「私」はひろしであり、おばあさんなのだと。そして、ひろしは「私」が「何か物語のようなものを書きたがっている」ことを知っているのだと。　初めは、語り手がまるで作者の自画像のようだと思ったのですが（聞き・語る人ということで）、今はどちらかというと、この街全体が、語り手・崎山多美の精神世界のアレゴリーのように思えます（別に崎山多美でなくてもいいですが。大雑把に言えば、物語を語りたい人、つまり小説家）。ひとくちに「わたし」と言っても、誰でも色々な「わたし」の顔を持っています。「ぼくはあなたで、あなたはおばあで・・・・・・」というひろしの言葉も、そういう風に読んでもよい気がします。　ほとんどあらすじでしたが、近作中で個人的に最もヒットしたので、つい伝えたくなってしまいました。</description>
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<category>崎山多美</category>
<pubDate>Thu, 10 May 2007 01:43:34 +0900</pubDate>

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<title>ピグル風ヌ吹きば／カデナ</title>
<description>　今年度の「すばる」５月号に、崎山多美の「ピグル風ヌ吹きば」が掲載されています。紙面では、「ピ」ではなく、「ヒ」の右上に小さな三角形がついていました。八重山の言葉（たぶん）が出てくるようなので、その音声表記かな？　今のところ、よくわかりません。　それから、「新潮」５月号には、池澤夏樹の新連載長編「カデナ」が。沖縄が舞台となる池澤作品は初めてだとか（彼の作品は、まだ何も読んだことがないのです）。　ちなみに、どちらもまだ読んでいません。覚え書きまで。</description>
<link>http://ayu.ti-da.net/e1484236.html</link>
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<category>ニュース</category>
<pubDate>Fri, 13 Apr 2007 07:00:00 +0900</pubDate>

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<title>『目からウロコの琉球・沖縄史』 出版祝オフをしました</title>
<description>「目からウロコの琉球・沖縄史」というブログをお読みになっている方は、同ブログが単行本化されたこともご存知でしょう。この機会に著者にお会いしてみたいと思い、先週の土曜、ささやかな出版祝オフ会を開きました。参加者は茶太郎さんが書いていらっしゃる通りです（写真は、左からとらひこさん、テンさん、もせさん、私、茶太郎さん、トーマさん）。貘ゆかりの居酒屋、池袋「おもろ」で集まりました。　とらひこさんへの第一印象は、一言で言うと「国王」ですね。とても素敵な方です。これも詳しくは茶太郎さんの記事へ。　当初は「記事用の著者インタビューも」などと考えていたのですが、集まってみると、お店の雰囲気といい、初対面同士が多いとは思えない和やかな場といい、やはり普通のリラックスした会話の方がいいなと思ったのでそうしました。一応主催者なのに、都合で早く抜けないといけなかったのが残念。本へのサインは忘れずに頂けてよかったです。　サイバーな繋がりも良いものですが、リアルに言葉を交わすというのはやはり特別なことだと、改めて思いました。自分に関して、いかに内にこもったままの思考が多いか、また外に開かれた耳が足りないかを痛感します。　そして何より、空間を共有するのは面白い。ローカルなやりとりも楽しかったし、各人がそれぞれ取り組んでいることの話なども、とても刺激になりました。とらひこさんをはじめ、参加してくださった皆さま、本当にありがとうございました（また飲みましょうね）！--------　単行本『目からウロコの琉球・沖縄史』は、ボーダーインクのページから注文できます。</description>
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<category>イベント</category>
<pubDate>Mon, 09 Apr 2007 07:00:00 +0900</pubDate>

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<title>「青い空、黒い雨、赤い髪」</title>
<description>青い空、黒い雨、赤い髪沖縄の夕暮れは恐怖の始まり　今年初夏に公開予定の映画、「アコークロー」のキャッチコピーです。先日、銀座のわしたショップ（東京９年目にして、初訪問！）で見つけたチラシのデザインと、このコピーに惹かれました。「日本映画史上初の琉球奇譚」だそうです。公式サイト：　http://www.aco-crow.com/　あと、出演者の方のブログを見つけました。面白いです。「アコークロー」でブログ内を検索してみてください。→　http://fec.chocchune.jp/tomoji/　わしたショップでトークイベントがあったそうですが、残念ながら、私が知った時点ですでに終わっていました。田丸麻紀は気になっていた女優さんだし、これはぜひ見たい。沖縄では、桜坂劇場で６月９日から公開されるようです。その他の劇場は、現在「初夏」とだけ告知されています。　なんとなく、チラシを電気に透かしてみました。</description>
<link>http://ayu.ti-da.net/e1441136.html</link>
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<category>ニュース</category>
<pubDate>Wed, 28 Mar 2007 07:00:00 +0900</pubDate>

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<title>修了、そして更新</title>
<description>　先週末、ようやく修了証書をいただきました。修了・進学が決まってからも、一体何を修了したのかと呆然としてしまう日々でしたが、指導教官から証書を、後輩から花を渡されたとき、ああ一応の区切りはついたんだな、次に進まなければいけないんだな、という感慨を覚えました。　気がつけば、２月はここを一度も更新しないまま、また３月もチャーホッタラカシのまま来てしまいました。ご心配をおかけしていましたら、ごめんなさい！　沖縄文学って私にとって何なんだろう、という厄介な疑問がますます増してきたのが、その原因かもしれません。趣味というわけではないし、仕事でもないけど、関心を持たずにはいられないこととは。先の記事で紹介した「すばる」の特集でも問われていましたが、そもそも「沖縄文学」というくくりはどんな意味を持つのか、それは必要なものなのか。こういったことがぐるぐる回って、今までのようになんとなく感想を書くということができなくなっているのかな、という気がします。　でも、やっぱり書いたり言ったりしないと何も「分から」ない、と感じます。言葉は、もやもやしたものを「分ける」もの、逆に言えば、もやもやが形をとって「分けられた／分かれた／分かった」のが言葉なんだろうと。　つまり、論文がその典型ですが、自分がこれから分かりたいことを書くのって、正直面倒なんですよね！ ← 開き直り　でも、その面倒できついことを、なぜか続けていってみたいと思う。細胞分裂でもして大きくなりたいんでしょうか。そう、言葉という形で何かが「分かる」ということは、細胞が日々「分かって」体を更新しているように、心を更新する作業なのかもしれないな、と思ったりします。　私はその更新作業に時間がかかるようです。そういうわけなので、ブログの更新も、今年もゆっくりになりそうです。どうぞ気長に見守ってください。</description>
<link>http://ayu.ti-da.net/e1440970.html</link>
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<category>おぼえがき</category>
<pubDate>Tue, 27 Mar 2007 00:27:00 +0900</pubDate>

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