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Posted by TI-DA at

2005年12月02日/ シンポジウム「沖縄の詩の現在」

報告(7) 打ち上げ

 あまりにも濃い4時間が過ぎ、私の頭痛も頂点に達したころ、シンポジウムは終わりました(シンポジウムのページ、写真入りになってます)。そして私は会場をキョロキョロ。この日、「蔡温時代の探訪ノート」の茶太郎さんと、ミニオフ会でも、ということになっていたからです。

 会場の外にそれらしき方がいらしたので、声をお掛けすると、はたして茶太郎さんでした。私は、高校でお世話になった貞俊先生に一言挨拶をしたかったので、茶太郎さんに少し待ってもらって、会場に戻りました。

 そして、挨拶と受賞のお祝いをお伝えして帰るつもりが、懐かしさで話が弾み、「打ち上げに来なさいよ!」ということになってしまいました。首里人失格の私も、さすがに少しは学んだようで、「えっ、いいんですか?」と、とりあえず遠慮のそぶりを見せたのですが(書くと遠慮してるようには見えませんね・・・・・・)、こんな機会は滅多にあるものではない、という好奇心の方が勝ってしまったようです。

 貞俊先生「ねえ、誰が来てもいいんだよねー(他の先生に確認)」 確認された先生「いいよー、料理の分け前が減るだけだから」 貞俊先生「あはは、料理が減るだけってよ。行こう行こう」 私と茶太郎さん「・・・・・・」 こうして、頭痛などおかまいなしのディープな時間が、再びやってくるのでした。

 会場ではひどく気後れしつつも、ちゃっかりお寿司を手に、談笑の輪に混じらせていただきました。

「やっぱり4時間では短かったですね(ひえー)、時間が全然足りない(確かに)」「戦後の詩の概観もして、あの話もこの話も、って話すこと沢山あったからね(そうでしたね)」「方言詩の話はほとんど出来なかったし(ぜひお聞きしたかったです)」と、シンポジウムの熱冷めやらずといった雰囲気でした(カッコ内は私の心のつぶやき)。

 茶太郎さんとのお話の中では、「最近読んでいる歴史書に、首里城から光の玉が飛び出す、というようなことが書いてあったけど、よくあるんですか?」と聞かれましたが、これまた初耳でした。「よくあるのか」という質問も突っ込みどころだと思った覚えがあるんですが、実際に突っ込んだかどうかは覚えていません(事実の詳細はコメント欄へ)。「いずれ記事にしようかな」ということなので、楽しみに待つことにしました。

 宮城さんからは、帰り際、同人詩誌「1999」の第2号を手渡していただきました。いずれこのブログでも、感想を添えて紹介したいと思います。読み応えのある詩誌でした。

 せっかく話題を振っていただいたのに、こちらからはまともな話ができなかったなあ、と悔やまれるところも個人的にはありました。頭痛とビールのせいだけではなかったと思います。精進せねば。

 ともあれ、やはり非常に刺激的な、楽しいひとときでした。時間の都合で最後までいられなかったのが残念です。このブログに関しても、普段の勉強についても、励ましのお言葉をいただけたのも嬉しかったです。あと、貞俊先生に「名刺作っとけよー」って言われてしまったっけ・・・・・・。

 シンポジウム報告シリーズは、これにて完結します。長文におつき合いくださり、ありがとうございました。

(写真: 去年の正月、首里城下の実家から那覇の街を臨む)  


Posted by あゆ at 22:41Comments(4)

2005年11月28日/ シンポジウム「沖縄の詩の現在」

報告(6) ディスカッション

 そして、10分間の休憩。振り返って会場を見渡してみると、年配の方が目立つような気がしましたが、学生らしき若い人もちらほら見受けられました。会場の部屋が、母校(開邦高校)の視聴覚教室に似ていて懐かしかったです。どうでもいいですね。

 休憩後の第二部では、大野隆之氏、松島浄氏もコメンテーターとして参加され、司会の与那覇恵子氏も加わられてのディスカッションとなりました。何度も引いてきて頼りすぎだと思うのですが、大体の内容は宮城氏の記事に詳しいです。

 突然ですが、私にはもともと沖縄文学に対する知識はおろか関心もなかったと言ってよく、ようやく芽生えてきた関心を育てるために、このブログを作りました。そういうわけで、このブログで取り上げた作品以外で読んだものは、ほとんどありません。よって、この日ディスカッションで取り上げられた作家の作品のどれ一つとして読んでいなかったので、「ああ、あのことね」と実感を持って話についていけるところはあまりなく、我ながらもったいなかったと思います。いずれ個々の作品に接したときに、今回の議論も鮮やかに甦ってくるんだろうな、という予感に期待するばかりです。この日を境に、沖縄文学への、とりわけ詩への関心は急激に高まっているのは確かなので。

 というわけなので、内容に踏み込めなくてごめんなさい。個人的な話をすると、「清田政信の個の表現と船越義彰の素朴な言葉の違い」という問題は、ドイツ文学の文脈で考えると非常に根源的なテーマに辿り着くなという感想を抱きました。それはまたいつか、別の機会に。

 実感として面白かったのは、「若い世代で急速に進むヤマト化や方言の問題、表現が多様化する中で沖縄の詩という概念が成り立つかについて」と宮城氏のまとめられている論点です。宮城氏の記事でもわかりますが、答え方に世代間の違いの様相が浮かび上がったテーマでした。宮城氏は、「若い世代で急速に進むヤマト化」にアクセントを置き、大城氏は「表現が多様化しても、沖縄の詩という概念は成り立つ」ということを強調されていたように記憶しています。宮城氏の意見に対し、反論がいくつか上がりましたが、言いたいことはどちらも同じなのでは、と私は感じました。つまり、沖縄詩という概念は残る、ということです。宮城氏が「ヤマト化」という点を強調されたのは、これから沖縄で詩を書く人はどのような人か、ということを冷静に観察し分析した末の結果だったのでは、と思います。

 天沢氏による補足も、興味深いものでした。千葉の軍の遺構を自転車で巡りながら自作の詩を朗読する、というご自身の持つテレビ番組のお話から、「詩人は土地の聖霊である」という思いを述べられました(このとき、会場全体からペンを取る音が聞こえてきて面白かったです)。「フランスにいたころはフランス語で詩を書いたこともあった」、ということも例としておっしゃったので、天沢氏のおっしゃる「土地」というのは、故郷とはまた違った、それをも乗り越えた広い意味での土地・・・・・・というよりも、自らが足で立って生活しているその土地なのだなあ、という新鮮な感慨を抱きました。

(写真: 浜辺の茶屋前の浜辺にて、私と息子)  


Posted by あゆ at 15:40Comments(4)

2005年11月26日/ シンポジウム「沖縄の詩の現在」

報告(5) 天沢退ニ郎氏

 ようやく第一部の最後、天沢退二郎氏のお話についてです。氏のお話は、レジュメを伴った報告の形ではなく、ご自身の体験が語られるという形でなされました。

「私と沖縄とのつながりは、吉増剛三氏の後をお受けして山之口貘賞の選考委員の末席を汚したことで・・・・・・」「今までのお話を聞いていて、自分もこの場にいていいのか、と恐縮する思いがいたしました」と、謙遜しつつ語り始められた天沢氏。まず、満洲での幼少時の体験から語られたことは、データとして資料に示された氏のプロフィールに色を甦らせ、会場をぐっと引き込んだ気がしました。

 お話の柱は、前回ご紹介した宮城氏の記事にもまとめられている通り、貘賞選考の際の体験談でした。氏は、まず「沖縄は割を食っている」と述べられたあと、次のように語られました。

「これまで色々な賞の選考委員を経験しましたが、貘賞の性質はそのいずれとも異なるものでした。それは、おそらく応募される詩集の性質によるものであり、貘賞への応募詩集には、受賞に推せるものとは違うのだけれども、選考委員全員が衝撃を受ける、そういう詩集が必ずあります。そのことで僕は、詩を書くことで生きようとしている、そのような方々が沖縄の詩を支えているということを、強く感じました」

(天沢氏の声を思い出しながら再現してみましたが、細かいところは、実際に語られた言葉とは違っていると思います。あしからず。)

 この見解は非常に共感を呼び、第2部のディスカッションでも触れられました。宮城氏は、「自分にとって詩作は実際に心の支えとなっていた」と述懐、コメンテーターの大野氏も、「(賞の選考の際に)落とすと決めながら、自分は何をしているんだろう、という気持ちになることがあります・・・・・・」と打ち明けられる場面もありました。

 朗読は、天沢氏はなさらなかったと思います(実はこの辺りからじわじわと頭痛に襲われてしまったせいか、記憶があやふやな上にメモもないので、もし違っていたら、参加なさった方のご指摘をお願いいたします)。

 ところで、来る12月3日の土曜日、天沢氏も参加されるポエトリーリーディングのイベントが催されます。またも明治学院大学にて。このイベントには、宮城氏とともに沖国大の文芸部で活動されていた詩人トーマ・ヒロコ氏(詩誌「1999」同人)も参加されるようです。詳細は以下でご確認ください。

ポエトリーリーディング 現代詩に声を取り戻そう

(写真: 夕鶴。東京の自宅近くにて)  


Posted by あゆ at 07:00Comments(6)

2005年11月20日/ シンポジウム「沖縄の詩の現在」

報告(4) 宮城隆尋氏

 3人目、宮城隆尋氏の報告は、「現在の詩壇状況(1980年代以降)」について。なぜ80年代以降かというと、ご自身が80年生だから、ということだったように思います(間違っていたら訂正をお願いします)。前置きでは、「もちろん、生まれたばかりの80年の記憶があるわけではありませんが・・・・・・」と会場を和ませていました。

 報告のポイントは3つあり、レジュメの言葉を借りると、「世代間の溝」「潜在化する沖縄」「沖縄である必然性を失う若手」ということでした。

 この3つの点を柱に、沖縄の現在の詩壇状況が多面的に分析されるだけでなく、いくつかの提案もなされました。詩の新人作品は、他の文芸ジャンルと比べても表に出にくい状況にあるので、もっと発表の場や新人賞のあり方に工夫が必要だ、ということが全体の大筋だったと思います。この記事を書いている間に知ったことですが、報告の一部は宮城氏が大学で発表なさった論文が元になっており、ご自身のサイトでも詳しく読めます。

沖縄現代詩史 ―世代交代が行われなかったのはなぜか― (前)(後)

 ここで読める内容に加えて、さらに詳しい現状報告もなされました。2003年、小・中・高生を対象とした詩の新人賞「神のバトン賞」が発足したこと、一般対象の新人賞はまだないこと。若い世代の詩作の場は、主に学校の授業・ネット上・文芸部の3つであること。詩自体、あまり読まれなくなっており、歌詞の方が関心を集めているところもあること・・・・・・特に印象に残ったのは、3つ目のポイントとしても挙げられていた、「沖縄の若手詩人」の不在についてでした。依然として良い詩は書かれるのだけれども、題材が沖縄でなくても書かれ得るものが多くなってきている、という指摘がなされ、「沖縄で沖縄の若い世代が沖縄をどう描くか」という問いが投げかけられました。

 私は詩人ではないのですが、創作に関心ある者、また同世代の者として、宮城氏のこの問いは非常に切実なものとして胸に迫ってきました。

 朗読は、詩集『idol』から「会えないお前に」。朗読というのは不思議なもので、言葉が声に出されると、読んだだけでは味わえない世界が眼前に現れてきますね。私はこの若い詩人の朗読を聞いて、「ああ、彼は詩を書く人だ」と思いました。

 ところで、このシンポジウムの要点は、新聞記者でもある宮城氏自身によってもまとめられていました(シンポジウム「沖縄の詩の現在」に参加して)。この記事を見つけたときは、その正確さと簡潔さのあまり(新聞記事だから当然なのですが)、自分はこのブログで何を報告したのだ、という一抹の虚しさに襲われたくらいです。新聞紙上でお読みになっていない方は、ぜひご一読ください。また、この記事ではパネリストの様子も見られます。

(写真: 宮城氏に頂いた、詩誌「1999」の第2号)  


Posted by あゆ at 07:00Comments(6)

2005年11月17日/ シンポジウム「沖縄の詩の現在」

報告(3) 中里友豪氏

 次は、中里友豪氏の報告についてです。

 中里氏のテーマは「状況と文学」。1950年代の沖縄の政治的状況が文学とどう関わったか、ということが、『琉大文学』(琉球大学の文芸部が1953年に創刊した同人誌)の歴史を軸に語られました。「『中里友豪という詩人はまだ生きているんですか』と言った学生がいたそうだ」というエピソードを苦笑しつつ紹介なさって、『琉大文学』は既に歴史になったのだ、対象化される時間が流れたようだ・・・・・・というようなことをおっしゃっていたのが印象的でした。

 私にとって初めて聞くことばかりで、これまで名前しか知らなかった人々が、このお話を機に一気に繋がっていくのを感じました。特に興味深く聞いたのは、『琉大文学』の中で起こった論争(新川明『船越義彰論』、清田政信『詩論の試み』など)や、雑誌自体をめぐる言説(大城立裕、池田和両氏による『琉大文学』批判など)の話です。この辺りの話は、今なお当事者の方々によって新聞紙上などでも熱く語られたりしているので、ご存知の方も多いことでしょう(沖縄タイムスのサイトで、「記憶の声・未来への目」で検索すると、面白い記事がたくさん出てきます)。なお、当時の政治的状況に関しても、詳しい証言がオンラインで読めます(琉大が燃えた日)。この手記のタイトルは、中里氏の命名によるものだそうです。

 こういった論争の根底にあるもののひとつは、「沖縄で、文学とはどうあるべきか」という大きな問いのような気がしました。
 
 中里氏の報告は、このあと「詩におけるウチナーグチについて」というテーマに移るはずでしたが、残念ながら時間切れとなってしまいました。「(時間配分が)下手だね・・・・・・」との中里氏のつぶやきに、思わず笑いを誘われた会場でした。沖国大の大野氏もコメントの際に残念がっていらっしゃいましたが、本当にもっと聞いていたかったです。

 朗読なさったのも、ウチナーグチの詩(「9・11」)でした。タクシーの運転手さんが、方言でアメリカ批判をやるという内容です(プロフィールのページでも読めます)。私が理解できたのは6割くらいでしたが、生活に密着したウチナーグチによる表現と、タクシーの運転手さんのゆんたく(おしゃべり)という設定のせいか、話は深刻なのにどことなく可笑しみのある詩だと思いました。そのことが、打ち上げのときまで話題になっていました。

(写真: 首里城、京の内近くのガマ)  


Posted by あゆ at 22:49Comments(2)

2005年11月15日/ シンポジウム「沖縄の詩の現在」

報告(2) 大城貞俊氏

 やっぱり長くなるので、少しずつ載せることにしました。まずは大城貞俊氏の報告についてです。

 大城氏による報告のテーマは、「沖縄・現代詩の挑戦と課題」。沖縄の現代詩の来し方と行く末について、「挑戦」という言葉を主軸に、様々な角度から分析がなされました。

 歴史の概観のところでは、復帰前における詩の表現の特質を「時代と密接に関わった表現」、復帰後のそれを「多様化される表現/異質な文化との衝突と違和感」と確認。そして、沖縄で詩という表現法が選ばれる必然性、方言詩のあり方、詩における倫理的表現の挑戦と限界、現代詩のテーマという4つの点が語られました。

 概観ということもあり盛りだくさんの内容で、刺激的な問いがたくさん出されましたが、中でも印象的だったのが、「なぜ詩表現を選ぶのか」という問いに対する大城氏の答えです。それは、「短詩型文学の伝統」「共通語習得の困難さ」に先立って挙げられた、「詩の言葉の直情的な性質」というものです。沖縄の置かれた極限状況と対峙するためには、どうしても先鋭で直情的な「詩の言葉」が出てくるのだ、ということだったように思います。詩というものの性質について、改めて考えさせられました。

 最後は朗読で締めくくり。資料に載っていない詩で、題名は忘れてしまいましたが、確か娘さんへの詩でした。情のこもった朗読に、小さい子のいる私は思わず目頭を熱くしてしまいました。

(写真: 首里城の城壁)  


Posted by あゆ at 07:00Comments(0)

2005年11月08日/ シンポジウム「沖縄の詩の現在」

報告(1) 概要

自宅近くの多摩川。本文とは関係ありません。 11月5日、明治学院大学で催されたシンポジウム「沖縄の詩の現在 詩人たちの島 沖縄について東京で考える」を聴きに行ってきました。期待していた通り、あるいはそれ以上の、非常に刺激的な体験でした。

 司会は与那覇恵子氏で、第一部は、4人のパネラー(大城貞俊氏、中里友豪氏、宮城隆尋氏、天沢退二郎氏)による報告。第二部は、大野隆之氏と松島浄氏をコメンテーターに迎えた討論という形式でした。

 聴衆の数は残念ながら多くはなかったのですが、シンポジウムの終わりには、藤井貞和氏など著名な方々のコメントも客席から出て、いかに濃い時間と空間だったかということを改めて確認しました。

 シンポジウムの内容については、次回報告したいと思います。今少しずつ書き進めているのですが、その日に語られたことを思い出しつつ整理し直すことは、大変であると同時にとてもスリリングです。毎度のことで時間はかかるかもしれませんが、どうぞお楽しみに。

トラックバック: 人間ちょぼちょぼ日記

(写真は自宅近くの多摩川。本文とは特に関係ありません。)  


Posted by あゆ at 12:54Comments(8)

2005年09月21日/ シンポジウム「沖縄の詩の現在」

シンポジウム 沖縄の詩の現在

 もう少し先の話ですが、サイトを見つけたので覚え書きがてら。以前コメント欄でも情報をいただいたのですが、来る11月5日に、「沖縄の詩の現在 詩人たちの島 沖縄について東京で考える」と題されたシンポジウムが、東京の明治学院大学にて催されます。

 見かけたら、声をかけてください。  


Posted by あゆ at 07:00Comments(16)