報告(6) ディスカッション

あゆ

2005年11月28日 15:40

 そして、10分間の休憩。振り返って会場を見渡してみると、年配の方が目立つような気がしましたが、学生らしき若い人もちらほら見受けられました。会場の部屋が、母校(開邦高校)の視聴覚教室に似ていて懐かしかったです。どうでもいいですね。

 休憩後の第二部では、大野隆之氏、松島浄氏もコメンテーターとして参加され、司会の与那覇恵子氏も加わられてのディスカッションとなりました。何度も引いてきて頼りすぎだと思うのですが、大体の内容は宮城氏の記事に詳しいです。

 突然ですが、私にはもともと沖縄文学に対する知識はおろか関心もなかったと言ってよく、ようやく芽生えてきた関心を育てるために、このブログを作りました。そういうわけで、このブログで取り上げた作品以外で読んだものは、ほとんどありません。よって、この日ディスカッションで取り上げられた作家の作品のどれ一つとして読んでいなかったので、「ああ、あのことね」と実感を持って話についていけるところはあまりなく、我ながらもったいなかったと思います。いずれ個々の作品に接したときに、今回の議論も鮮やかに甦ってくるんだろうな、という予感に期待するばかりです。この日を境に、沖縄文学への、とりわけ詩への関心は急激に高まっているのは確かなので。

 というわけなので、内容に踏み込めなくてごめんなさい。個人的な話をすると、「清田政信の個の表現と船越義彰の素朴な言葉の違い」という問題は、ドイツ文学の文脈で考えると非常に根源的なテーマに辿り着くなという感想を抱きました。それはまたいつか、別の機会に。

 実感として面白かったのは、「若い世代で急速に進むヤマト化や方言の問題、表現が多様化する中で沖縄の詩という概念が成り立つかについて」と宮城氏のまとめられている論点です。宮城氏の記事でもわかりますが、答え方に世代間の違いの様相が浮かび上がったテーマでした。宮城氏は、「若い世代で急速に進むヤマト化」にアクセントを置き、大城氏は「表現が多様化しても、沖縄の詩という概念は成り立つ」ということを強調されていたように記憶しています。宮城氏の意見に対し、反論がいくつか上がりましたが、言いたいことはどちらも同じなのでは、と私は感じました。つまり、沖縄詩という概念は残る、ということです。宮城氏が「ヤマト化」という点を強調されたのは、これから沖縄で詩を書く人はどのような人か、ということを冷静に観察し分析した末の結果だったのでは、と思います。

 天沢氏による補足も、興味深いものでした。千葉の軍の遺構を自転車で巡りながら自作の詩を朗読する、というご自身の持つテレビ番組のお話から、「詩人は土地の聖霊である」という思いを述べられました(このとき、会場全体からペンを取る音が聞こえてきて面白かったです)。「フランスにいたころはフランス語で詩を書いたこともあった」、ということも例としておっしゃったので、天沢氏のおっしゃる「土地」というのは、故郷とはまた違った、それをも乗り越えた広い意味での土地・・・・・・というよりも、自らが足で立って生活しているその土地なのだなあ、という新鮮な感慨を抱きました。

(写真: 浜辺の茶屋前の浜辺にて、私と息子)

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