報告(3) 中里友豪氏

あゆ

2005年11月17日 22:49

 次は、中里友豪氏の報告についてです。

 中里氏のテーマは「状況と文学」。1950年代の沖縄の政治的状況が文学とどう関わったか、ということが、『琉大文学』(琉球大学の文芸部が1953年に創刊した同人誌)の歴史を軸に語られました。「『中里友豪という詩人はまだ生きているんですか』と言った学生がいたそうだ」というエピソードを苦笑しつつ紹介なさって、『琉大文学』は既に歴史になったのだ、対象化される時間が流れたようだ・・・・・・というようなことをおっしゃっていたのが印象的でした。

 私にとって初めて聞くことばかりで、これまで名前しか知らなかった人々が、このお話を機に一気に繋がっていくのを感じました。特に興味深く聞いたのは、『琉大文学』の中で起こった論争(新川明『船越義彰論』、清田政信『詩論の試み』など)や、雑誌自体をめぐる言説(大城立裕、池田和両氏による『琉大文学』批判など)の話です。この辺りの話は、今なお当事者の方々によって新聞紙上などでも熱く語られたりしているので、ご存知の方も多いことでしょう(沖縄タイムスのサイトで、「記憶の声・未来への目」で検索すると、面白い記事がたくさん出てきます)。なお、当時の政治的状況に関しても、詳しい証言がオンラインで読めます(琉大が燃えた日)。この手記のタイトルは、中里氏の命名によるものだそうです。

 こういった論争の根底にあるもののひとつは、「沖縄で、文学とはどうあるべきか」という大きな問いのような気がしました。
 
 中里氏の報告は、このあと「詩におけるウチナーグチについて」というテーマに移るはずでしたが、残念ながら時間切れとなってしまいました。「(時間配分が)下手だね・・・・・・」との中里氏のつぶやきに、思わず笑いを誘われた会場でした。沖国大の大野氏もコメントの際に残念がっていらっしゃいましたが、本当にもっと聞いていたかったです。

 朗読なさったのも、ウチナーグチの詩(「9・11」)でした。タクシーの運転手さんが、方言でアメリカ批判をやるという内容です(プロフィールのページでも読めます)。私が理解できたのは6割くらいでしたが、生活に密着したウチナーグチによる表現と、タクシーの運転手さんのゆんたく(おしゃべり)という設定のせいか、話は深刻なのにどことなく可笑しみのある詩だと思いました。そのことが、打ち上げのときまで話題になっていました。

(写真: 首里城、京の内近くのガマ)

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