報告(4) 宮城隆尋氏

あゆ

2005年11月20日 07:00

 3人目、宮城隆尋氏の報告は、「現在の詩壇状況(1980年代以降)」について。なぜ80年代以降かというと、ご自身が80年生だから、ということだったように思います(間違っていたら訂正をお願いします)。前置きでは、「もちろん、生まれたばかりの80年の記憶があるわけではありませんが・・・・・・」と会場を和ませていました。

 報告のポイントは3つあり、レジュメの言葉を借りると、「世代間の溝」「潜在化する沖縄」「沖縄である必然性を失う若手」ということでした。

 この3つの点を柱に、沖縄の現在の詩壇状況が多面的に分析されるだけでなく、いくつかの提案もなされました。詩の新人作品は、他の文芸ジャンルと比べても表に出にくい状況にあるので、もっと発表の場や新人賞のあり方に工夫が必要だ、ということが全体の大筋だったと思います。この記事を書いている間に知ったことですが、報告の一部は宮城氏が大学で発表なさった論文が元になっており、ご自身のサイトでも詳しく読めます。

沖縄現代詩史 ―世代交代が行われなかったのはなぜか― (前)(後)

 ここで読める内容に加えて、さらに詳しい現状報告もなされました。2003年、小・中・高生を対象とした詩の新人賞「神のバトン賞」が発足したこと、一般対象の新人賞はまだないこと。若い世代の詩作の場は、主に学校の授業・ネット上・文芸部の3つであること。詩自体、あまり読まれなくなっており、歌詞の方が関心を集めているところもあること・・・・・・特に印象に残ったのは、3つ目のポイントとしても挙げられていた、「沖縄の若手詩人」の不在についてでした。依然として良い詩は書かれるのだけれども、題材が沖縄でなくても書かれ得るものが多くなってきている、という指摘がなされ、「沖縄で沖縄の若い世代が沖縄をどう描くか」という問いが投げかけられました。

 私は詩人ではないのですが、創作に関心ある者、また同世代の者として、宮城氏のこの問いは非常に切実なものとして胸に迫ってきました。

 朗読は、詩集『idol』から「会えないお前に」。朗読というのは不思議なもので、言葉が声に出されると、読んだだけでは味わえない世界が眼前に現れてきますね。私はこの若い詩人の朗読を聞いて、「ああ、彼は詩を書く人だ」と思いました。

 ところで、このシンポジウムの要点は、新聞記者でもある宮城氏自身によってもまとめられていました(シンポジウム「沖縄の詩の現在」に参加して)。この記事を見つけたときは、その正確さと簡潔さのあまり(新聞記事だから当然なのですが)、自分はこのブログで何を報告したのだ、という一抹の虚しさに襲われたくらいです。新聞紙上でお読みになっていない方は、ぜひご一読ください。また、この記事ではパネリストの様子も見られます。

(写真: 宮城氏に頂いた、詩誌「1999」の第2号)

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