修了、そして更新
先週末、ようやく修了証書をいただきました。修了・進学が決まってからも、一体何を修了したのかと呆然としてしまう日々でしたが、指導教官から証書を、後輩から花を渡されたとき、ああ一応の区切りはついたんだな、次に進まなければいけないんだな、という感慨を覚えました。
気がつけば、2月はここを一度も更新しないまま、また3月もチャーホッタラカシのまま来てしまいました。ご心配をおかけしていましたら、ごめんなさい!
沖縄文学って私にとって何なんだろう、という厄介な疑問がますます増してきたのが、その原因かもしれません。趣味というわけではないし、仕事でもないけど、関心を持たずにはいられないこととは。先の記事で紹介した「すばる」の特集でも問われていましたが、そもそも「沖縄文学」というくくりはどんな意味を持つのか、それは必要なものなのか。こういったことがぐるぐる回って、今までのようになんとなく感想を書くということができなくなっているのかな、という気がします。
でも、やっぱり書いたり言ったりしないと何も「分から」ない、と感じます。言葉は、もやもやしたものを「分ける」もの、逆に言えば、もやもやが形をとって「分けられた/分かれた/分かった」のが言葉なんだろうと。
つまり、論文がその典型ですが、自分がこれから分かりたいことを書くのって、正直面倒なんですよね! ← 開き直り
でも、その面倒できついことを、なぜか続けていってみたいと思う。細胞分裂でもして大きくなりたいんでしょうか。そう、言葉という形で何かが「分かる」ということは、細胞が日々「分かって」体を更新しているように、心を更新する作業なのかもしれないな、と思ったりします。
私はその更新作業に時間がかかるようです。そういうわけなので、ブログの更新も、今年もゆっくりになりそうです。どうぞ気長に見守ってください。
関連記事