2006年05月12日/ 東峰夫

オキナワの少年(1)―普通の家庭

オキナワの少年(1)―普通の家庭 GWの終わりごろ、不覚にも風邪を引いてしまったのですが、病床(37.7℃、頭・喉・鼻痛)のなか、なぜか本が読みたくなり、なぜか『沖縄文学選』を開いて、「オキナワの少年」を読みました。東峰夫(ひがし・みねお 1938-)による短編で、1971年に文学界新人賞、翌年芥川賞を受賞しています。1983年に映画化されてもいます。

 これまでは、構造や文体についてもメモしようとしてきましたが、今回は感想をつらつらと述べてみます。

赤しまぞうり

 占領下のコザの様相が、人災ではなく、まるで天災ででもあるかのように描かれていると思った。というのは、つねよしの家族が、あまりにも普通だから。米兵相手の居酒屋を営んでいて、床も提供しているということ以外は。普通というと語幣があるかもしれないが、コザにでなくてもこんな家族はいる。実質的な大黒柱の母親、力仕事はするがたいていは空威張りしている父親、反抗期のぼく。家族が一致団結していないところに、妙にリアリティを感じる。普遍性があるから、映画化されたということもあるかもしれない。

 母親は、炊事のための水がめが米兵の小便で汚されても、しょうがないとばかりに「ぼく」、つねよしにもう一度水を汲ませようとする。つねよしが強情を張って聞かないと、「あんすりゃ、おとうに汲ますさ」と言う。「このわからずや! みんな辛いんだよ。口惜しいけど我慢するんだよ」というような、嘆きや忍従の態度が出てこない。人災、つまり社会的な圧力や政治的に困難な状況に苦しみ、心を合わせる共同体、という感じがない。

「親(うや)のいゆし聞(ち)からんな!」
 ぼくは、もうはっきりと決心してうしろ手に柱をつかまえてからいった。
「聞(ち)からんよ」
「この、横着もんや!」

 それにしても、つねよしはとても健全な少年だ。「やまがっこう」(学校をサボること)はするし、小さな家出もよくするし、揚句の果てには、軍のヨットを盗んで南洋の島へ行こうと目論む。もちろん反抗するだけでなく、家計のために新聞配達もしているし、家の手伝いもする(我慢できる範囲で)。でも基本的に、周りの大人に全く気を使わない、子ども本来のあり方をしている。 (つづく)

(写真: オキナワンスタイルより)


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Posted by あゆ at 06:19│Comments(8)
この記事へのコメント
「なぜか」が2つ重なって

「オキナワの少年」だったのですね^^

お風邪のぐあいは、いかがですか。

「クスクェーヒャー!」
Posted by びん at 2006年05月12日 19:30
翌日治りました、ありがとうございます^ ^
Posted by あゆ at 2006年05月12日 21:32
げ!
じゃあ、ただ「ののしった」だけ?(苦笑)
Posted by びん at 2006年05月14日 00:06
いえ、ちょうどくしゃみしたところでしたから(^o^)/
Posted by あゆ at 2006年05月14日 00:11
治ってないし!

コメント漫才、このくらいにしときましょうね(笑)
Posted by びん at 2006年05月14日 00:18
はい(笑)

「ありがとうございました~m(_ _)m」
Posted by あゆ at 2006年05月14日 00:29
御幣→語弊 が、正しいと思われます。
Posted by とも at 2006年05月17日 12:13
ともさん、ご指摘ありがとうございました!
Posted by あゆ at 2006年05月17日 18:48
 
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