2006年04月13日/ 崎山多美
孤島夢ドゥチュイムニ/見えないマチからションカネーが
雑誌「すばる」最新刊の5月号に、崎山多美『見えないマチからションカネーが』が掲載されています。同氏は今年の1月号にも、『孤島夢ドゥチュイムニ』という短編を発表しています。
『孤島夢ドゥチュイムニ』は、ある写真家の語り。写真集を出すため沖縄へ写真を撮りに来た彼は、バスを乗り間違えて降りた街で、呼ばれるようにとある劇を見ることにします。その劇というのが・・・・・・。「ドゥチュイムニ」は「ひとりごと」という意味。
「ママが死んだサ」。『見えないマチからションカネーが』では、「ウチ」が、「ママ」を一緒に送ろうと「あんた」を呼びよせます。ひたすら「ウチ」の語りで、「あんた」の姿は、「ウチ」の語りによって浮かび上がってきます。「ションカネー」は、別れの唄ということでしょうか。
どちらの小説にも、一人語りが出てきます(『ションカネー』は一人語りそのもの)。一人語りには、聞き手を想定する「独白」と、想定しない「独り言」がありますが、この2篇に出てくる一人語りは、非常な力を持って迫ってくる独白です。言葉が向けられるのは、観客であり、「あんた」で、直接こちら(読者)には向けられていません。そのことが、かえって言葉の威力を強烈なものにしていると感じました。これらの作品がこのタイミングで発表されたことは、とてもすごいことだと思います。
個人的にも、ここまで心震えた短編は久しぶりで、いつのまにか珍しくも音読さえしている自分がいました。そして、純粋なウチナーグチはわからなくても、イントネーションなどのフィーリングは染みついているんだなと再確認しました(もっとも、著者とは出身も違いますし、登場人物はさらに違う街の人なので、馴染みのないところもありましたが)。そして、沖縄の言葉の声に馴染みのない読者には、この話はどう読まれるんだろう、ということにも興味を覚えました。
バックナンバーも図書館で読めるはずですので、ぜひお読みになってください。
(写真: オキナワンスタイルより。祝100記事目^-^)
『孤島夢ドゥチュイムニ』は、ある写真家の語り。写真集を出すため沖縄へ写真を撮りに来た彼は、バスを乗り間違えて降りた街で、呼ばれるようにとある劇を見ることにします。その劇というのが・・・・・・。「ドゥチュイムニ」は「ひとりごと」という意味。
「ママが死んだサ」。『見えないマチからションカネーが』では、「ウチ」が、「ママ」を一緒に送ろうと「あんた」を呼びよせます。ひたすら「ウチ」の語りで、「あんた」の姿は、「ウチ」の語りによって浮かび上がってきます。「ションカネー」は、別れの唄ということでしょうか。
どちらの小説にも、一人語りが出てきます(『ションカネー』は一人語りそのもの)。一人語りには、聞き手を想定する「独白」と、想定しない「独り言」がありますが、この2篇に出てくる一人語りは、非常な力を持って迫ってくる独白です。言葉が向けられるのは、観客であり、「あんた」で、直接こちら(読者)には向けられていません。そのことが、かえって言葉の威力を強烈なものにしていると感じました。これらの作品がこのタイミングで発表されたことは、とてもすごいことだと思います。
個人的にも、ここまで心震えた短編は久しぶりで、いつのまにか珍しくも音読さえしている自分がいました。そして、純粋なウチナーグチはわからなくても、イントネーションなどのフィーリングは染みついているんだなと再確認しました(もっとも、著者とは出身も違いますし、登場人物はさらに違う街の人なので、馴染みのないところもありましたが)。そして、沖縄の言葉の声に馴染みのない読者には、この話はどう読まれるんだろう、ということにも興味を覚えました。
バックナンバーも図書館で読めるはずですので、ぜひお読みになってください。
(写真: オキナワンスタイルより。祝100記事目^-^)
Posted by あゆ at 13:45│Comments(0)