2010年09月04日/ 断想・随筆

ドイツを歩いた日

「ああ、私は今ドイツにいるんだな」

ウンテル・デン・リンデン沿いのカフェーで日記を書きながら、ふとそんな当たり前のことを思っていた。ベルリンに来て10日もたったころ、もうすぐこの旅行も終わるというころだ。 

ドイツ語インテンシヴの授業でこの研修旅行を知って、私は迷わず行きたいと思った。ミヒャエル・エンデが生まれた国に行ってみたい、と希望を膨らませていた。まるでエンデ自身の描いたファンタージエンに行けるかのように。

そして私の思い描いていたファンタージエンには、非日常と日常、刺激と退屈の両方があった。退屈な時もあったから後悔しているということではなく、新鮮なはずの「初めての外国」に日常性を持ち込んでいた自分を見つけたということだ。

私が最初に受けたドイツの印象は、日本と変わらない、ということだった。もちろん違うことはわかっている。建物の雰囲気や店の看板ひとつをとってみても、ドイツの方がおとぎ話に出てきそうな、可愛らしいものが多かった。ただ、やっぱり日本―というより東京近郊―は西洋風なんだなあということに改めて気づいたとき、ふと外国にいる気がしなくなった。

ひと月のみの滞在のわりには、いろんな街に行くことができたと思う。マンハイムに2週間、ケルンに1泊、ベルリンに2週間、ローテンブルクに2泊、ミュンヘンに6泊。その間にも小さな街、近い街に足をのばした。マンハイムとベルリンは、地図を片手に歩き回った特別な街だ。ゲーテ・インスティテュートの授業が終わると、友達と、時には一人で街に出た。

私が最初に使えるようになったドイツ語は、「~はどこですか?(Wo ist ~?/ヴォー イスト ~?)」「~にはどうやって行けばいいですか?(Wie komme ich zu ~?/ヴィー コメ イッヒ ツー ~?)」「この近くに~はありますか?(Giebt es hier in der Nähe ~?/ギープト エス ヒア イン デア ネーエ ~?)」だった。これらが通じたときの喜びは大きかった。

声が小さいと通じにくいという現実から、ドイツ語を話すときは、日本語を話すときよりも少し強気になる。日に日にドイツ語を話すのが楽しくなってから、そんなに肩肘はらずに言葉が出てくるようになった気がするけれど。■ (つづく)

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10年以上前(1999年)の旅行記を発掘。
大学に提出するためのレポートで、書きたい放題なところがわれながらちょっと面白かったので、細かいところを少し手直しして日の目を見せてやることにしました。

オーボエ奏者の茂木大輔が、修行時代の自分の演奏を聴くとその上手さに驚く、という話をどこかに書いていました。私の場合は、上手さも何も、巧拙をほとんど気にせず書きまくる天衣無縫ぶりが懐かしいです。


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Posted by あゆ at 07:00│Comments(0)
 
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