2010年09月02日/ 断想・随筆

書くことは恥をかくこと

小学4年ごろから高校の初めごろまで、祖父に勉強を見てもらっていた。かつて高校で国語を教えていた祖父は、校長ほか様々の重役も務めながら自身も筆をとり、随筆集を4冊出している人であった。

祖父は私たち孫の勉強を見る場を「おじいちゃん塾」と呼んでいたが、おじいちゃん塾でもっとも印象に残っている授業も、やはり国語なのである。市販の教材をコピーして繰り返し解かせる、という通常の授業にくわえ、作文の添削、古文の暗誦、文学史の解説などもあり、それは力の入ったものだった。

たしか曾祖母の亡くなった年、高校1年のときだったと思う。ある作文を祖父に見せると、祖父は一言、こう言ったのである。

「君の文章には、光るものがない」

以下、具体的なことを言われたのだと思うが、この言葉があまりにも強烈すぎて覚えていない。

書くことは恥をかくこと光る文章とは? それは私の謎であり続けた。他方、うすうす自覚してもいた。祖父は、私のいかにも優等生的で無難な書き方を批判したのだ。
当たり障りのないことを、なぜわざわざ書く必要がある?

それからしばらくののち、私は曾祖母の葬式の様子を作文した。祖父の母であり、祖父が悲しみの感情を露にするのを、私は初めて見た。曾祖母の頭蓋骨を割ろうとする葬儀屋に、祖父が悲痛な調子で「叩かんでください」と言った、と書いたことだけを覚えている。泣きながら、一晩で一気に10枚を仕上げた。

その作文を、恐る恐る、だったかどうかは記憶にないが、祖父に見せた。祖父は一言、静かに、「よく書けている」と言った。具体的なことは言われた覚えがない。「書くことは恥をかくこと」という言葉、のちのちまで私を導くこととなるその言葉も、そのときに言われたのか、あるいは別の機会に言われたものだったのか、もはや定かではない。■


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Posted by あゆ at 10:54│Comments(0)
 
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