2010年08月06日/ トーマ・ヒロコ

ひとりのリュウキュウ・ガール

ひとりのリュウキュウ・ガールトーマ・ヒロコ 『ひとりカレンダー』 
(ボーダーインク) 2009


第一詩集から4年の時を経て上梓された、トーマ・ヒロコの第二詩集『ひとりカレンダー』。2009年の山之口貘賞を受賞したこの詩集のなかに、「細い糸」という一編がある。

糸が切れないように
乱暴な風が吹きそうになったら
手で風をさえぎる
さえぎるのが遅くて
風が糸を切ったなら
そっと糸を結ぶだけ
結び目が目立たなくなるまで
じっと見守るだけ


トーマ・ヒロコと話をする機会を何度か得た私は、この詩を読んだとき、私もいつか彼女の糸を切ってしまったかもしれない、あるいは切りそうになったかもしれない、と「うちあたい」した。雰囲気が悪くなったとか、具体的なことが思い当たったということではない。ただ、うちあたいしただけである。もっとも、人を傷つけたかもしれないことを自覚したことのない人もあまりいないだろうから、ほとんどの人がうちあたいするのかもしれない。感想はそれぞれ異なるにしても。

トーマ・ヒロコの詩のテーマには、大なり小なり「沖縄」がからむことが多い。他方で、「文化系★ふつうのおきなわ」というブログタイトルが象徴するように、「日常」という視点もまた、彼女の世界の基礎をなす。

この詩集には、〈「お疲れ」だけで事足りる」〉といった、幾分きつい皮肉はない。しかしトーマ・ヒロコはやはり、日常生活のなかでやり過ごされることの多い小さな違和感を言葉にして、私たちに渡し続ける。読者はうちあたいする。かつて天沢退二郎に絶賛され、ついに貘賞を贈られた、これが彼女の「意地悪さ」だ。

沖縄の明るい面を強調するマスコミ(さすがに最近はそうもいかないが)と、それを素朴に受け取る人々、あるいはそのような状況。彼女の「意地悪さ」は、そういうものに対抗する姿勢として、特にはっきり現れる。その姿勢は、思いを同じくする沖縄の人々の共感を呼ぶだろう。私も共感する。

共感しつつ、少しのもどかしさも覚える。そんなときの彼女は、「みんなのリュウキュウ・ガール」、あるいは「リュウキュウ・ガールのひとり」になっているような感じがするからかもしれない。

代表すること。それがトーマ・ヒロコの目指す方向のひとつなのかもしれないし、沖縄という場に必要な詩人なのかもしれない。

そう思いながら、私はいつのまにか、誰の代表でもない、そして誰にも代表することのできない、「ひとりのリュウキュウ・ガール」の姿をさがしている。ちょうど、「細い糸」や「線路に鞄」のなかにいるような。どちらの顔もこなすのが、トーマ・ヒロコなのだろう。

ところで、この詩集のなかに「カテイのうた」という小さな詩があって、「先輩へ贈った詩」という添え書きがついている。普段の生活のなかで、そっと詩を贈る。そんなふうに、実用の領域にそっと詩を流し込む姿勢と技が、いいなと思う。

ちなみに、去年は「おきなわのホームソング」の一曲に歌詞も提供している。第3詩集に収録されるかな、と今から楽しみにしている。■

 うちあたいする: 「身に覚えがある」ときまり悪く感じて反省すること。


トーマ・ヒロコ 『ひとりカレンダー』 (ボーダーインク)

(ボーダーインクのサイト)


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Posted by あゆ at 13:30│Comments(2)
この記事へのコメント
「細い糸」「線路に鞄」に光を当てていただきありがとうございます。
自分で自分の詩を選び紹介する機会が時々ありますが、自分でこれらの詩を選んだこともなければ、誰かに取り上げられたこともないので、嬉しいです。
「ひとつでいい」を皮肉だと受け取ってくださったことも嬉しいです。
他の人には、どうも皮肉だと通じていないことが多いように思うので。

あゆさんは私の糸を切りそうになったり、切ったりしていないですよ。
Posted by ヒロコ at 2010年08月07日 18:29
ヒロコさん、コメントありがとうございました!
ふつうのおきなわの方にお返事しました。
Posted by あゆあゆ at 2010年08月09日 11:21
 
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